初めての出産は何かと不安ですよね。
これから出産を迎える方の不安を少しでも取り除くことが出来ればと思い、2019年に私が出産した時のことを書きました。
まず初めに、私は出産前から、分娩の痛みが本当に怖くて怖くて、毎日ソフロロジー法や呼吸法の練習をして、出産の日を迎えました。
出産に対する不安の取り除き方が気になる方は、こちらの記事からどうぞ。
3/31 出産前日
13:00 おしるしがあり病院で受診
少量のピンク色の出血(いわゆるおしるしというもの)がありました。
お腹の張りも強く感じられたため、病院に行来ましたが、子宮口が3cmしか開いておらず、一度、帰宅することになりました。
子宮口が5cm開いていれば、入院のようです。
18:00 最後の晩餐に焼肉を食べる
焼肉を食べると陣痛が来るという迷信を、聞いたことがありますでしょうか。
そんなことある訳ないでしょ。と思いながら、出産前日の夜に、心ゆくまで焼肉を食べました。
入浴後、少しずつお腹が痛くなってきました。
余談ですが、二人目も焼肉を食べた後に陣痛が始まり、翌日に出産しましたので、私の中では、この迷信はあながち間違いでないと思っています。
21:00 前駆陣痛の始まり
生理痛より少し痛い程度の痛みが、15分〜20分間隔で来るようになりました。
焼肉の食べ過ぎで腹痛になったのか、前駆陣痛なのか、区別がつかず、何度もトイレと部屋を往復していました。
出るものも出ないので、これは前駆陣痛だなと思い、覚悟を決めました。
この時から、私の出産耐久レースが始まりました。
前駆陣痛の間隔は長いのですが、痛みが強く、一睡もすることが出来ませんでした。
出産前に練習していたソフロロジー法と呼吸法で、なんとか一夜を耐えました。
4/1 出産当日
10:00 本陣痛の始まり
陣痛が10分間隔になり、激しい痛みが襲ってきました。
予想以上の痛みに怖くなり、涙が出てきました。
陣痛が来る前は、陣痛の痛みが分かるのか、疑問を感じていましたが、陣痛は喋るのが苦痛なレベルでした。
一生懸命練習したソフロロジー法も呼吸法も、痛みでパニックになり、一瞬で頭から消えてしまいました。
病院に電話をすると入院セットを持って、一度、受診するように言われたので、親と祖母に連絡をして迎えに来てもらいまいした。
主人の職場に連絡するも、話すことが出来ず、より不安が募りました。
「大丈夫。私なら出来る。陣痛は赤ちゃんからのメッセージ!」と声に出して、弱気な自分を追い払い、気持ちを落ち着かせました。
11:00 病院到着
待合室で10分ほど待ちましたが、この10分がとてつもなく長く感じました。
陣痛に悶え苦しむ私を見て、他の妊婦さんを怖がらせてしまったのではないかと、後で反省しました。
先生に触診してもらい、子宮口が5cm開いていたので、そのまま入院となりました。
分娩室(LDR)に入り、赤ちゃんの心拍を聞きながら、陣痛に耐えていました。
2019年4月1日は、平成の次の新元号発表の日でした。
祖母がずっと横で何になるかなぁ?と言っていました。
11:41 新元号「令和」を発表
携帯のテレビを見ていた私たちは、遂にその瞬間を迎えます。
菅義偉官房長官が新元号「令和」を発表しました。
令和かあ、などと話しながら、陣痛に耐えていました。
食事が運ばれてきましたが、痛みのせいか、少ししか食べれませんでした。
持ってきたウィダーを流し込みました。
陣痛は体力勝負なので、食べられるのであれば、少しでも口にしたほうがいいと思います。
14:00 母親合流
仕事中だった母親が病院に到着し、祖母と交代しました。
15:00 主人合流
主人が仕事を切り上げ、病院に来てくれました。
当初、立ち会い出産をする予定はなかったのですが、急遽、立ち会うことになりました。
16:00 子宮口全開10cm!いきみ開始
「助産師さんが、子宮口が10cmになったので、もういきんでいいですよ。後3時間くらいで生まれそうだね」と言ってくれました。
私は、今までソフロロジー法や呼吸法を練習してきましたが、それは子宮口が10cmになる前のいきみ逃しの為であって、いきむということがよく分からないことに気が付きました。
助産師さんが「お尻の方に力を入れて押し出す感じですよ」と言ってくれましたが、上手くいきむことが出来ませんでした。
二人目出産の時に分かりましたが、分娩台に対して、垂直になるくらい体を持ち上げる姿勢を取ると自然といきめると思います。
19:00 陣痛促進剤を使用
あと3時間くらいだねと言われてから、既に3時間経過しましたが、一向に生まれる気配がありませんでした。
この痛みが、まだ続くのかという絶望感と疲労、睡眠不足からか、陣痛が徐々に弱くなり始めました。
陣痛には「有効な陣痛」と「無効な陣痛」があると勉強していたのですが、とても実感しました。
陣痛が来ていきんだとしても、赤ちゃんとお母さんのタイミングが合っていないと、本当に意味が無いいきみになってしまい、無駄に体力を消耗してしまいます。
頭では分かっているのですが、痛すぎてそんなことを考えている余裕はありませんでした…
陣痛が弱くなってからは、上手くいきめず、ついに陣痛促進剤を使うことになりました。
陣痛促進剤を使うと、すぐに陣痛が復活してきました。
痛みが無いといきめないって不思議ですね。
無痛分娩にしたら、どのようにいきむのかが気になります。
20:00 父親到着
実家の父が来てくれました。
分娩室に入ってきたので、出るに出れず、そのまま立ち会い出産することになりました。
当初一人も立ち会う予定がなかったのに、結局、主人・母親・父親の3人が立ち会いました。
こんなに大勢の人が立ち会う出産の方いますか?
21:00 赤ちゃんの心拍が弱まり、呼吸器をつける
私が上手く呼吸することが出来ないせいで、赤ちゃんに酸素を届けてあげられず、赤ちゃんの心拍が落ちてきました。
呼吸器をつけたのですが、これが、また苦しいのです。
「苦しい思いさせてごめんね、赤ちゃん。あと少し頑張ろう」と声に出しながら、いきみます。
21:49 会陰切開と誕生
なかなか、赤ちゃんが出てきてくれませんでした。
先生が「22時になっても生まれなければ、吸引か鉗子で出しましょう」と言ってくれました。
出産前は、出来るだけ自然分娩でと思っていましたが、この痛みが無くなるのであれば、なんでもいいから早く出して、痛みを取り除いて欲しいと思いました。
辛く長い陣痛にも耐え、もう少しで赤ちゃんが出そうになっている時、先生がお股を切ったのが分かりました。
麻酔をしていないのに、陣痛の痛みの方が勝っていて、会陰切開の痛みは感じませんでした。
その後すぐに、下半身がバコッ!!!と外れたような感覚があり、21:49に無事に産まれてきてくれました。
もはや痛みを通り越して、一瞬、幽体離脱したかと思いました。
悶え苦しんだ出産でしたが、なんとか無事に耐久レースを終えることが出来ました。
出産後の状態
先生に会陰切開の跡を縫ってもらっていると、徐々に痛みを感じ始めました。
痛いと伝えると麻酔を打って処置してくださいました。
その間、足のガクブルが止まらず、少し恥ずかしかったです。
出血量が多かったので、産後3時間は分娩室で過ごしました。
助産師さんが、夜ご飯を持ってきてくださったのですが、もう、疲れ果ててご飯を食べる余裕はありませんでした。
少しだけ頂いて、残りは主人に食べてもらいました。
24時間の陣痛を耐え切った後に、「いただきま〜す!」と元気で食べれる方がいたら、強者だと思います!(笑)
産後回復の3時間の間、ベッドの隣に保育器に入った赤ちゃんがいました。
さっきまでお腹の中にいたのに、とても不思議な感じです。
たまにあくびしたり、手足をバタつかせたり、生命の神秘を感じました。
出産した日は母子同室ではないので、別々の部屋で過ごします。
夜中に起きた時に、パジャマがビッチャビチャになるほどの汗を書いていました!
一瞬、洗濯したパジャマを乾かさずに着てしまったのかと思うくらいの汗です。
出産当日は、すごい量のアドレナリンが出ているようなので、大量の汗をかくようです。
二人目の出産の時も同じようにものすごい量の汗をかきました。
出産当日にご自身のパジャマを着ることがあれば、背中にタオルを敷いておくことをおすすめします。
翌日、恐ろしいほどの筋肉痛(特に腕)と、腰痛に襲われました。
この痛みは暫く続いて、日常生活と赤ちゃんの世話に支障をきたすほどでした。
もしかして、この筋肉痛と腰痛は産後ハイで体を酷使するのを防ぐためなのかなと思うほどでした。
初産のまとめ
本陣痛から約24時間という壮絶な出産を体験しました。
時間は掛かりましたが、ソフロロジー法のおかげて、陣痛中の怖さも取り除かれ、自分的には、とても満足のいくお産でした。
助産師さんも「とても良いお産だったよ」と優しく言ってくださいました。
以前、「コウノトリ」という漫画を読んでいる時に、「出産に安全なお産なんてないんだよ」というセリフを見た記憶があるのですが、本当にその通りだと思います。
母子ともに無事で本当によかったです。
妊娠・出産という貴重な体験をさせてくれて、本当に嬉しかったです。
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