2人目、どうしよう。子供は一体誰の為?

2人目、どうしよう。子供は一体誰の為?
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私は不妊治療で体外受精・顕微授精をしました。
体外受精・顕微授精をしたことがある方は、ご存じかもしれませんが、出会った精子と卵子が受精し、受精卵となります。
その受精卵を培養し、細胞分裂した胚盤胞を凍結します。
私の場合、その胚盤胞が3つ出来ました。
1つ目の胚盤胞を戻し、子宮内に着床し、妊娠しました。そして、娘を出産しました。
では、残りの2つの胚盤胞はどうなっているのでしょう。
今でも凍結されています。
残り2つの胚盤胞をどうするか?と考えたとき、私は「私のお腹の中に戻す」という結論に至りました。
私の中で、受精卵はもう命を持っています。
たとえ妊娠に至らなくても、3つ目の胚盤胞も、お腹の中に戻してあげたいという気持ちはあります。
ただひとつ言えるのは、最初に出来た胚盤胞が1個だとして、その1個で妊娠したとしたら、次も不妊治療をしてまで子供が欲しいかと言われたらNOです。
ここで、考えるのは「子供は一体誰の為に必要なのか」ということです。

昔の日本人は農業などの一次産業を営んでいる人が多く、その家業を継ぐためや、労働力を得るために、子供が必要でした。
明治時代は、子供が成人まで生きられる割合は6、7割ほどで、江戸時代以前だとそれよりも低くなります。
従って、生きるために子供が必要だったのです。しかし、今の多くの日本人は、”自分が生きるために子供が必要だ”と思い、子供を産むでしょうか。
私も夫も普通のサラリーマンですし、何かを継がせるために子供を生んだわけではありません。

一人目は愛する人との子供が欲しいと思ったから

私は、子供を欲しいと思うのは人間の本能だと思っています。
しかし、25歳になるまで、ずっと子供はいらないと思っていましたし、友達にそういう事を言うとなんだか変な目で見られました。
今の時代「結婚する、しない」、「子供をもつ、もたない」これらは、全て自分の意志で自由に決められるのです。
私は、親の愛情を沢山もらい、友人のように相談し合える姉弟にも恵まれたので、いつかは、自分がこのような家庭を築きたいという思いが、心のどこかにあったかもしれません。
しかし、親戚が少なかったためか、小さい子供と触れ合う機会が無く、自分が家庭を築く立場になるということを、想像することが出来ませんでした。
25歳になった時、仲の良い会社の先輩が出産し、初めて人間の赤ちゃんをまじまじと見ました。
赤ちゃんの無垢な笑顔を見て、これまでの私の価値観が一変しました。
私の眠っていた”種を残したい”という動物の本能が、開花したとしか言わざるを得ません。
そして、当時付き合っていた彼と結婚しました。
愛する人との子供が欲しいと思ったので、結婚しました。と言っても過言ではありません。
しかし、子供が出来なくて不妊治療をするという道を選ぶのですが…
従って、一人目は”私たちが欲しいと思ったから”夫婦のために子供を産みました。

二人目以上は親のエゴでしかない

では、二人目はどうでしょうか。
私は、先ほど述べたように、不妊治療をしており、特殊な環境にありました。
一般的には着床したら、妊娠したことになりますが、私の中では受精卵が出来たことが妊娠と同じ事のように思えるのです。
今も凍結されている受精卵の事を考えると、我が子が吹雪の中、雪に埋もれて、苦しんでいるような感覚になります。
そこから早く出してあげたい。私の温かい胎内に戻してあげたいと思うのです。
なので、完全に親のエゴです。
「姉弟を作ってあげたい」、「二人いたほうが大人になった時に協力し合える」そんなことは全て親のエゴです。
子供は産んで終わりではありません。その子が成人するまでの人生を背負うことになります。

あなたは平等に愛せますか?

一夫一妻制の日本では、多くの人が結婚するまでは、一人の人を愛し、付き合ってきたと思います。
しかし、子供を産んだらどうでしょう。夫と子供を愛することになります。
今まで夫だけに向けていた愛情と、同じだけの愛情を子供に注ぐことは不可能なので、自ずと夫への愛情が薄まり、子供への愛情が膨らみます。
では、二人目が生まれたら?同じ理論で考えると、一人目の愛情が薄まり、二人目の愛情が膨らみます。
自分では、一人目と二人目を同じように愛せているかもしれません。
しかし、一人目の子は愛情が減ったと感じてしまいます。
これは、物理的に仕方の無いことなのです。
結局、「私たちが産みたいから産んだ」ことによって、自ずと誰かが寂しい思いをすることになるのです。

きょうだいは不思議な存在

私にとって姉弟とは、親でも、友人でもない不思議な存在です。
でも、友人よりも強い絆で結ばれた存在です。
小さい頃は、沢山喧嘩もしましたし(主に弟をいじめていた)、自分のことだけ見てほしいと寂しい思いもしました。
ただ、姉弟がいるということは、寂しいこと以上に楽しいことの方が沢山あると思います。
親に言えないことも、姉弟には相談出来たり、友人よりも気軽に遊びに誘えたり、何でもないLINEを送り合ったり。
友人は、その時の環境や、住む場所によって、自分で距離を調整することが出来ますが、姉弟はずっとどこかで繋がっているのです。
中には、兄弟仲が悪く、何年も連絡を取っていない人たちも、多くいると思います。
でも、私は心から姉弟を尊敬しているし、ずっと繋がっていたいと思える、何にも代えがたい存在です。
親が私に残してくれた大事な資産だと思っています。

二人育児は大変だけど、自分の成長や幸せがある

私の場合、二人目をどうする?という葛藤はありませんでしたが、幸いにも、凍結されていた胚盤胞を1つ移植し、妊娠・出産に至りました。
新生児は本当に手が掛かり、上の子の要望に全て答えることが出来ず、泣かせっぱなしで本当に辛いこともありました。
自分が望んだ二人目なのに辛いと思うことが多々ありました。
下の子が生後4カ月までは、本当に大変な記憶しかないです。
というより、記憶が抜け落ちているので、大変だったんだろうな、と思います。
4カ月もすると、上の子が下の子を可愛がってくれるようになりました。
自分から抱っこしたいと言ったり、ミルクを飲ませてくれたり、ご飯を食べさせてくれたり…
二人で遊んだり、見つめ合って笑っている姿を見ると、本当に幸せな気持ちにさせてくれます。
確かに二人育児は大変です。2人いるから2倍大変なのかなと思いきや、2の2乗(つまり4倍)大変でした。
ただ、子供の成長速度や適応速度がとても早いので、本当に関心しますし、親の私も見習わなくては、と常々思っています。
一人育児だけでは、二人育児をしている人の大変さを、全て知ることが出来ませんでした。人はその立場を経験したからこそ、その人に優しくしたり、気持ちを理解できると思っているので、私が辛いと思った二人育児という経験も、きっと誰かの役に立つ日が必ず来ると思っています。

今は、私が思ったように、いつか娘たちに、「姉妹という資産を残してくれてありがとう」と言ってもらえるよう日々努力するばかりです。

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